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鯱太鼓の由来
鯱太鼓は、古い時代の中国に伝わる「蓬莱鯱(ほうらいこ)伝説」を据太鼓と山飾(だし)により表現したものです。昭和60年の長崎くんちに初めて奉納しました。
『 蓬莱古伝説 』
古代中国において、「東の方向大海中には神仙の住む国があり、そこは不老長寿の世界なり」問い言う伝承がある。そして「その大海中に棲む神仙の鯱が、海原を裂き天空を目指して昇る時『蓬莱の鯱』となる。
さらに蒼天に至ると『黄金の龍』となって人々に吉祥を招く」という言い伝えです。 -
長崎大水害
昭和57年7月23日、長崎市とその周辺を(300年に1度の災害と云われる程の)集中豪雨が襲いました。
1時間に115mm(更に3時間で315mm)という猛烈な豪雨は、満潮と重なって河川の氾濫を招き、土砂災害を引き起こしました。
299名(死者295名、行方不明4名)の尊い命が奪われ、銀屋町でも中島川の氾濫により多くの世帯が冠水し大変な被害を被りました。
その後の後片付けの中、当時の青年達は被災を免れた傘鉾を見せられ、銀屋町にこんな立派な傘鉾があることを知ったそうです。それが22年ぶりのくんち奉納復活に向けての動きの始まりで、3年の準備を経て鯱太鼓の奉納が成されたのです。
鯱太鼓には、長崎大水害のような災害が再び訪れないようにとの願いと、大水害から復興に立ち向かう人々に吉祥が訪れるようにとの願いが込められています。 -
大名行列
銀屋町の戦前の演し物(奉納踊)は、尾張徳川家の御鷹狩りを模した大名行列で「御鷹の通りもの」と称される絢爛豪華なものだったそうです。
新しい奉納踊「鯱太鼓」を生み出す過程において、大名行列の伝統を取り入れようとしたのは、ごく自然なことだったと思います。
(1)山飾の櫓は、頂に鯱を載せた「天守閣」をイメージしています。
(2)「入り」の所作では、大名行列を意識して「すり足」を用いています。
(3)衣装の脚絆も大名行列の継承(名残)です. -
神立(じんだち)
太鼓の導入部分(イントロ)や演技開始(山飾を担ぎ上げる)前に、ゆっくりと大きな音で始めて、次第に早く小さな音に落としていく叩き方をこう呼ぶそうです。
なにかを始めようとするときの叩き方だと聞いています。鯱太鼓は「神立」で始まります。 -
昇龍(しょうりゅう)
平成12年の長崎くんちに奉納した据太鼓のオリジナル曲で、作曲者は高木忠弘さんです。
くんち奉納時は3分半に編集しますが、通常は5分程の曲で、関係者のお祝い事などで披露しています。
大太鼓のソロパートは各叩き手がオリジナルを持ち、一番の聞かせどころです。更に少しずつ進化しており、いつ聞いても新鮮に感じて戴けると思います。 -
蘇れ銀屋町
「銀屋町」を取り戻す。旧町名復活運動は、平成12年(2000年)に始まりますが、きっかけは「鯱太鼓」らしいのです。
子供達が鯱太鼓の奉納で、住んでいる町の名前が「銀屋町」だと知ったものの、実際(の住居表示)には無い町でさびそうにしているのをみて立ち上がったとか
金沢市での前例が後押しとなり、2005年に銀屋町通り自治会の総会で「旧町名復活」を決議。その年の5月長崎市長宛に請願書を提出しました。2006年9月長崎市議会で町名変更の議案が可決され、2007年1月9日隣町の東古川町と一緒に銀屋町が復活しました。